「シクラメンのかほり」 布施明(1975年)

さてこのページは「昭和の名曲について語る」という意図でやっているわけではなく、あくまでも冒頭に書いてある通り、「その時々に脳裏に浮かんでしまった曲」というのを脈絡なく取り上げては何かひとこと書き添える、という感じで続けております。
ですからして今回のようなこういう、歌謡曲の名曲としてすっかり殿堂入りしてしまってるような、言ったら「大味」(あくまでも存在感が、ですが)な作品というのは、むしろここの性質として避けたいかなーといったところだったりもするのです。
だがなあ……。何ヶ月か前に俺シナプスにぴぴっと引っかかって以来、この楽曲の特異性についてちょっと看過できない気分になってしまいました。
ちなみに、あえて言うのも何ですが、いくら俺シナプスにひらめいたからと言って、好きでもない曲、自分にとって愛を持って語るに値しない曲は決してここに昇ってくることはありません。頭の中でいくら「だんご三兄弟」が流れて止まらなかったとしても、それは、書く気にはなれません。華麗にスルーです。
前置きが長くなりましたが「シクラメンのかほり」。あらためて歌詞を見直すと実に不思議な世界であることに気づかされます。
悲しげな旋律とあいまって、全体的な印象はまさしく晩秋を思わせるメランコリックなものなのですが、よくよく聴いてみると歌詞に出てくる男女、実は普通に幸せそうです。男性側が恋人を見る視線はどこまでも愛に満ちていて、どっちかと言えばラヴラヴだったりはしないかと。
しかし「特異性」と言ったのはここなのですが、深い愛と信頼があるにもかかわらず、二人の世界はこの曲が与える第一印象通り、どこかブルーなのです。爆笑したりとか絶対にしなさそう。けれども決定的な不幸があるわけでも、これまた絶対になさそうです。
しあわせなんだけどブルー(はっ!「敏いとう」……?)。そんな「年月を経たカップルの有りよう」などという複雑な情景を描き出しておきながら、そんなものが歌謡曲として成り立ち、あっちこっちで流れてついにはレコード大賞まで獲ってしまった、というのは、もう離れ業と言ってもいいのではないかと思ったわけです。おっ小椋佳……!!!
この歌が大流行した当時は子供だったので、「ふうん、真綿色のシクラメンってのがあるんだ」とそんなところしか気にしていませんでしたが、大人はとっくにそんなことわかってたのかなとも思ったりします。「だからヒットしたんじゃネーか」ってところなのでしょうか。
今さらそんなことで何を興奮してるんだって感じか。やー、他にもそんなのが実は山ほどあるのかも。ある日気がついたらまたここで大騒ぎするかもしれません。