「ハリウッド・スキャンダル」 郷ひろみ(1978年)

作詞・阿木耀子さん、作曲は都倉俊一さんという、セレブ感漂う珍しいペアの作品です。
都倉俊一さんというと一世を風靡したイメージがありますが、カラオケであれこれ歌っていてもなかなか「作曲・都倉俊一」のクレジットにお目にかからないのが不思議だなと思っておりました。
よく考えたら、あっちこっちにまんべんなく曲を提供するタイプの人ではないのですね。そのかわりピンク・レディー山本リンダの一連のヒット曲がみんなこの人の作品だったり、百恵ちゃんの初期作品(阿木 - 宇崎ペア以前)もほとんどがそうだったりと、なるほど都度場所を変えつつ、ひとつところでばしばしヒットを放ってきたのだなということに気がつきます。

育ちが良くてスマートで女にモテて……、そうした彼の超エリート的たたずまいは、楽曲にもそのまま反映されているなというのが、昔からの私の印象でした。
何と言うかクラシック音楽をばっちり学んだ人が、

「ポップミュージック? ええっと、こんな感じでいいの?」

とばかり、手クセでさらさらっと書いて、しかもそれがちゃんとよく出来たポップミュージックになっているという、言ったらまあ、言葉は悪いですが「イヤミなかっこよさ」を感じていたものです。地に降りてきてもなお「あちら側」の気配を漂わせていると言ったらいいでしょうか。

しかしこの「ハリウッド・スキャンダル」に関しては、その真の上流ぶりが遺憾なく発揮されて、「あちら側」の華やかさが素直にまぶしく、素敵なものに感じられる一曲になっています。
しかも華やかさの中にわずかな翳りもはらませるあたり、どうしようもなく本物の「あちら側」です。

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ところで、これは歌詞の話なんですけど、この歌の

「びっしりー、びーっしーりーーー♪」

っていう部分。あそこは、言語感覚的にちょっとヘンではないのか。という意見が多いようです。
たしかにキラキラした要素の中に、あそこだけ異質なものがまざっているような感じはありますが、阿木耀子さんの他の仕事を考えると、やはりあれは相当意識してあの異質感(びっしり)をあそこにもってきたのではないかという気がします。華麗なままつるりと流してしまわない仕掛けというか、引っかかる部分をあえて作ったのではないかと。

それとも、詩人である阿木さんにとって「びっしり」というのは、通常の人が思うような生々しさやホラー感を伴うものではまるでない、まったく別のイメージを喚起させる表現だったりするのかも。