「リップスティック」 桜田淳子(1978年)

桜田淳子の、歌手としての「ずばりの立ち位置」って、実はこの歌だったのではないかと今さら気がつくのです。
思えば桜田淳子って不思議なキャラクターです。とてつもない陰を隠し持っていそうで、それゆえ真に芸能人っぽい感じがします。
白いお帽子をかぶって、清純で健康的な「天使」のイメージで押していたアイドル期の楽曲は、どれもポップでよくできた作品ばかりではありますが、たとえば他のアイドル(百恵ちゃんでも石野真子でも誰でもいいのですが)の作品が、その時々の本人の成長や心の揺れ具合といったものを如実に映し出してしまっているのに対し、淳子の一連の楽曲にはそうしたものがまったく透けて見えません。
実際は精神的にすっかり成熟しきった少女によって、見事に「演じられた」作品という印象があります。

しかし内側に「イン」(陰でもあり、ひょっとして淫なのかもしれません)を隠し持っているからと言って、「しあわせ芝居」や「化粧」などの中島みゆき作品まで行ってしまうと、逆にどうもバランスが悪いようで落ち着かないのでした。
はすっぱな調子で「バカだねー、バカだねー」と連呼してみせる淳子……。気の弱い私には何かものすごいものを見せられているようで、ちょっと直視に耐えがたいものがありました。

「リップスティック」は、作詞・松本隆、作曲・筒美京平という、当時の歌謡界では珍しくも何ともない、黄金ペアによる作品です。
でも淳子がこのペアの歌を歌ったのは、シングル曲ではこれだけだったのではないでしょうか。
惜しい気がします。見事にはまっているからです。
華やかなルックス、そしてリズム感という、表向きにぱっとわかる彼女の特長は、筒美京平さんのメロディーによって存分に活かされ、「陰」の部分も、孤独な悲しみに都会的な味付けをほどこした松本隆さんの歌詞によって、生々しくない形でさらりとにじみ出しています。
ちょうどいい。とにもかくにも「ちょうどいい」んです。
これとて、老獪な少女によって見事に演じられた「作品」のひとつであることには変わりないのかもしれません。けれどなぜかこの「リップスティック」にだけは、他の楽曲がついぞにおわせることのなかった、「その時の桜田淳子」というものがほの見えるような気がして、この路線でもうあと3曲ぐらいあってもよかったんじゃないかなーと、今となっては詮無いのですが、そう思わずにはいられないのでした。