「めまい」 石野真子(1980年)

アイドル時代の真子ちゃんを語るにおいて、内心苦々しく思いつつも、やはりあの
「長渕」
の存在を避けて通るわけにはどうしてもいかないのでした。
むしろ彼女の、少なくとも結婚引退前までの作品は、ずばり「長渕登場前/登場後」で大きくその色を変えたと言ってもいいでしょう。そしてそのターニングポイントとなったのがこの「めまい」です。

それまでも真子ちゃんは、ちょっと他に比較する対象が見つけられない、ある種ワンアンドオンリーなエロスを感じさせるアーティストでした。
「この娘だけは芸能界にあっても汚れていないに違いないッ」と見るものを信じさせずにはおかない、胸震わすほどのけなげなムードを備えつつも、それは必ずしも「聖女」のそれではなく、きっちり性的なものも感じさせていたという記憶があります。
デビュー曲「狼なんか怖くない」にしても、よくよく聴いたら性的な世界の入り口に立ちながら

「でも、あなたならOKよ?」

ぐらいのことを言っている歌なわけですし、あの童謡めいた「ワンダー・ブギ」でさえ、彼女自身の子供っぽさを売りにしているものでは決してなく、逆に子供たちに対する「歌のおねえさん」的、清冽なエロスが強く印象に残ります。

けれどそうした、彼女が漂わせる「いけない気配」というのは、あくまでも厚い扉の向こうからほんのりのぞく、つかみどころのないもやもやした何かだったわけです。ある日彼女の世界に「アイツ」が現れるまでは……。

長渕との交際が明らかになるのと前後して発表された、この「めまい」。それまで厚い扉の向こうにあった、彼女のつかみどころのなかった「いけない気配」は、ここではっきりと「恋(含む性愛)」という形を得て、扉の向こうから生々しく飛び出してきます。
これまではリアルなようでいても作り物の物語世界を演じてきた真子ちゃんですが、「めまい」ではすっかり一人称の「私」が彼女自身であるかのようで、聴いているこちらがどぎまぎしたものです。
「私はもうあなたに夢中よ」という部分では、「あなた」ってのはやっぱり「アイツ」のことなのか……とどうしても思わされてしまい、何とも複雑な気持ちになったのをよく覚えています。

とにかくこの歌、今になってあらためて聴くと、走りだした官能というものを五感に訴えかけてくる歌詞のクオリティの高さに、「めまい」というより震えが来るほどです。
「Tシャツのままで泳ぎたいほど」といって、抑えられない恋情を皮膚レベルで鮮烈に焼きつけたかと思うと、2番ではさらに

「あなただけが私のメロディー からだじゅう指ではじいてピアノにするの」

なんて、ちょっと自慰行為すら匂わせる部分も出てきたりして、でも響きはどこまでも詩的なので、思わせぶりないやらしさはまるでありません。

世間の耳目を集めた彼女の恋は、のちに辛い結末を迎えることになるわけですが、「長渕以降」の彼女がなぜあれほどまで私の心を掴んで離さなかったのかと思うと、それはやはり
「将来の悲劇を含みつつ、なお走りだす官能」
というものに、子供ながら抗いがたい魅力を感じていたからなのではないかと思ったりもするのでした。