「生きがい」由紀さおり(1970年)

別れた男性のことを胸にとどめ、「私は今でもあなたと生きているの」という女性の心情が、ちょっと童謡めいた素朴なメロディーに乗せて歌われています。
この歌のことを考えると、バランスというのは本当に大事だなとしみじみ思います。「別れたけど好き」という主張は、扱いを一歩間違えれば簡単にどろどろしたものになりかねません。
ここに演歌調のメロディーをつけ、さらにはヒロインを「北」へでも向かわせれば、そんじょそこらによくある流行歌謡の一曲に過ぎないことでしょう。けれどこの、ふんわりと可愛い音世界の中でそれが表現されることによって、さじ加減を間違えれば怨念に転ぶはずの情念が、女なら誰しも生得的に持っている尊い聖性にまで昇華され、この歌を特別な一曲にしているのです。

ところで、個人的に「生きがい」は2番の歌詞にぐっときます。
夕暮れ時、ヒロインの脳裏にふと、街を歩く別れた男性の現在の姿が浮かび、彼女はその面影に、ねえ、どこへ向かっているの、とそっと問いかけます。
まあ一種の遠隔透視です。人を愛すると、特に女性の場合感応力が高まって、このような超能力に近い現象をさらりと実現してしまうというのは、大いにありうることではないかと思います。
対して、こうして遠隔透視されている当の男性の方はどうか? という話なのですが、女性の方が愛することによって聖性に手が届いてしまっているのに対し、そんな無償の愛を向けられた男性の方は、もーびっくりするほど「何にも考えてない」んじゃないかという気がするのです。
人ごみの中、足早に歩く彼の頭の中には、残念ながら彼女のことは去来していないでしょう。そればかりか考えていることといったらせいぜい、「あー腹減ったな、ちょっと早いけど牛丼でも食ってくか」とか、ホントーにその程度のことでしかないんじゃないかと思われます。
でもこれは、「だから男はダメなんだ」っていう話じゃないんです。だ・か・ら・こ・そ! 泣かせるのです。
何にも考えていない、そんな素朴な彼だからこそ、もしかしたら出会うまでは単なる普通の女性に過ぎなかった彼女が、彼を愛することによって、女性としての本来の愛情深さを胸の中から掘り起こされたのではないかと。

「生きがい」という歌がいつの日も変わらず私の心をふるわすのは、私の内にもひそんでいるそうした神話的、根源的な女性性というものに、この歌が優しく手を伸ばし、気づかせてくれるからではないかと思うのです。