「サニーサイド・コネクション」三原順子(1981年)

百恵さん引退前後の激しい「ポスト百恵」争いで、当時ぶっちぎり(仏恥義理でも一向に構わず)で本命と目されていたはずの三原。しかし今振り返ってみるとタレントとしてはともかく、音楽的にはわりと中途半端な位置に留まった感が否めない。
以前エンピツ時代のログで、「本命が世に現れる直前、道ならしをするため、彼女(彼)の似姿的、前座的な存在がまず現れる」と書いたことがあるが、言ったら三原順子はその後の大本命・中森明菜登場までの、いわばつなぎのような存在に終わった感じだ。
これとよく似た最近のパターンとしては、「小沢健二からGacktに続く『王子ライン』上に徒花的に登場し、やはり音楽的には極めて中途半端なものしか残せなかった及川光博」というのがある。
しかしミッチーにしても三原順子にしても、役者としては極めて有用な人材であったわけで、それはそれでいいじゃないかという気が激しくするのだが。

懐メロ番組に駆り出される三原順子は、決まって「セクシー・ナイト」を歌っている。
三原と言えばこれでしょうとばかりに「セクシー・ナイト」。 ヘタをすると最近では「セクシー・ナイト(JAZZヴァージョン)」なんてわけのわからないものまで登場し、サンバヴァージョンやボッサヴァージョンが登場するのも時間の問題と思われる。……ってそうじゃないだろと!
忘れてもらっちゃ困る、三原と言えば「サニーサイド・コネクション」ではないか。 百恵に端を発し明菜で花開いたヤンキー歌謡の流れの中で、実はそれなりにいい仕事を残している三原の、まさに絶頂期にあたる快唱を聴くことが出来るのがこの作品なのだ。
サビ部分、
「そうよ あンなッたは〜 スタンバイ おぉっけえぃ〜♪」の
けえぃ〜♪」部分でのドスの効かせっぷりのカッコ良さと言ったら! そんじょそこらの下っ端ではとても真似できない、「本物」の味わいがそこにある。