「Boy friend」 ハイ・ファイ・セット(1985年)

蒸し返すのも気が進まないのだけれど、ハイファイセットの、あの生活に困って「ハイファイ窃盗」(どこぞのスポーツ紙の見出しがこうであったらしい)を働いてしまったメンバーは今どうしているのだろう。
あんなにもあんなにもあんなにも珠玉の作品を数々のこしていながら、たった一度の気の迷いのせいで、何とも後味の悪い幕切れを迎えてしまったハイファイセット……。
「卒業写真」や「スカイレストラン」等、ユーミンがらみの楽曲が通常はまず思い浮かぶところだろうが、ウチとしてはあえてそこはごっそり外してハイファイセットを愛でたいのだ。
ごっそり外したら何も残らないのでは……?と思ってはならない。残った所にこそ彼らの豊饒の世界があるのだと言い切っておこう。
特に杉真理作品との相性の良さが際立っていると思うのだが、いかんせん歌唱者(山本潤子)の声質や力量に合わせた難易度の高い楽曲が多く、カラオケで気楽に歌ったり出来ないのが災いするのか、時とともにどんどん埋もれていくのが口惜しい限りだ。
この「Boy friend」などその最たるもので、よしんばカラオケに入ったところで素人じゃまず歌えまい。
しかしこの、少女ではなくすっかり成熟した女が言う「ボーイフレンド」というニュアンスが含むあれやこれやが、適温かつ美しく切り取られた歌詞とあいまって、心の中に忘れがたい光景を残す佳曲なのだ。
「素直になりたい」もいいですが、あっちはぎりぎりカラオケにも入っているので心配いらないんです、というわけで「Boy friend」。とりあえず呑み屋に行かれた際など有線にリクエストしたりなんかしていただけないものでしょうか。
はい、あなたにお願いしているのです……!

「夕暮れ時はさびしそう」 NSP(1974年)

天野滋氏が亡くなっただなんて……! 全身の力がよろよろと抜けてしまってどうしようもありません。
何て言うかとても言葉に出来ないぐらい特別な人だったんだよー。「女々しいことはなんて女々しくないんだろう、むしろ真の漢なんだろう」ということを、子供だった私に身を持って見せてくれていたのが天野さんでした。時が経つごとにその印象は確信とともに深まり、震えるようなかぼそい歌声を折に触れて思い出すたび、他の誰とも比べられない彼の独自の有り様に改めてうたれるのでした。
どうしよう、生きている限り夕暮れ時から逃れることは出来ません。そしてそんな時私はいつだってひとりなのです。そのたびにあなたが「ごめん、ごめん」と歌う、あの声が黄昏の気配とともに忍び寄ってくるのですからたまりません。享年52歳だなんて若過ぎます。御冥福をお祈りします。

「僕等のダイアリー」 H2O(1981年)

この曲を取り上げたからと言って、H2Oについて語りたいのかと言うとそんなわけはなくてですね。
たとえそこにオダギリジョーが100人いたとしても、たった1人の来生たかおの前にはあえなく負けてしまうのではないか……ということを、ワールド・ワイド・ウェブの中心で高らかに叫んでみたくなったのでした。
今の私にとってたかおはそのぐらいエロい存在です。
彼の創作の全盛期であった80年代、まだバリバリの処女であった私にとって彼の作品は「良さは認めるものの、若干甘過ぎて物足りない」という印象でした。
やはり子供にとってはああしたコンパクトにまとまった職人芸より、「俺のこわれた蛇口か〜ら〜♪」的、わかりやすく刺激の強いものの方がよりエロく、かっこよく思えたものなのです。
そうした刺激の強い、ロックな皆さんを「街道沿いのラーメン激戦区」とすれば、たかおはいわば「ひとり亀屋万年堂」のようなものではなかったかと思います。
深夜2時に、上半身裸になってこれみよがしに麺をざっぱざっぱと茹でてみせるワイルドな野郎(TATTOOあり)と、早朝4時ぐらいに品のいい和洋菓子をひとり黙々と量産し続けるたかお(こなきじじい似)とを並べた場合、ガキの目はどうしたって前者に吸い寄せられてしまいます。
時が流れ、宵っ張りの楽しさにもすっかり飽きた私に、たかおがあの頃せっせとこさえたお菓子のクオリティの高さが、まるで甘い復讐ででもあるかのように今さら沁みてまいります。
何を持って来てもよかったんです。「楽園のDoor」でも、「スローモーション」でもいい。
代表曲と言うなら「シルエット・ロマンス」ということになるんでしょうか。
でもあえてH2O。TV版「翔んだカップル」のエンディングテーマであったこの曲は、童貞のしょっぱい感じを見事にさらった姉・えつこさんの歌詞といい、ある程度手くせで書いても75点は取ってしまうたかおの職人芸が炸裂したメロディーといい、珠玉中の珠玉、出来ることならこの歌もセルフカヴァーしてもらってたかおのあの声で聴いてみたいもの。
この「シナプス謡曲」ではかねがね、「狩人と言えば『あずさ2号』ではなく『コスモス街道』だろ!運動」を繰り広げてきましたが、ここに

「H2Oと言えば『思い出がいっぱい』ではなく『僕等のダイアリー』だろ!運動」

も加わったことを力強く宣言したいと思います。
毎度毎度つくづく孤独な闘いです。

「愛はポケットの中に」 華盛開(1981年)

カイリーさんの手術が成功したそうで、連日ほぼ分刻みで入れ替わるニュースを逐一追いかけてしまった身としては何やらとりあえずひと安心といったところ。
ところでそのミノーグさんなのですが、ニュースによって「Pop diva」とか「Superstar」とか、名前の前にいろいろな形容をつけられている中、「Gay icon」というのを少なからず見かけ、最近の彼女のありようについて遅ればせながら認識した次第です。
ゲイ人気か。何でなんでしょ。やっぱりルックスやファッションがちょっとドラッグ・クイーンめいているからなのか。
そうしてしばしカイリーさんの身を案ずるとともに、オカマ文化にうっすらと思いを馳せておりましたところ、突然にと言うか必然と言うか、頭の中にこの歌が華麗なるシタールの伴奏とともに流れてきたのでした。
華盛開と書いて「はなもり・かい」と読みますよ。男性であるはずなのですがこのような女言葉の歌詞を、絵に描いたようなオカマトーンで全編にわたって歌い上げております。
いちおう小ヒットぐらいにはなったのではないかと記憶しているのですが、このあとこれとよく似た感じの歌をもう1曲リリースしていて(畑中葉子で言うところの「後から前から」に続く「もっと動いて」のようなものかと)、そっちはまるで話題にもならなかったのですが、歌詞はよりハードコアさを増しており、「あなたの子供が出来たなんてとても言えない」とかまあそんな感じ、本当にあの人は何者だったのかと今さら不思議に思います。
この2曲をカップリングで、あの「kaba.ちゃん」あたりカヴァーするといいと思うんですけどね。わわっ、洒落じゃないですってば!

「夢で逢えたら」 キンモクセイ(2005年)

キンモクセイなんである、あろうことか。吉田美奈子でもシリア・ポール(古い!!!)でもなく。
いや、何て言うか侠気を買ってしまった。
ミュージシャンが今さら「夢で逢えたら」をカヴァーしようなどという勇気は、意外と持てるものではないと思うのだ。
揶揄でもバカにしてるのでもなんでもない。
それまでどっちかと言うとキンモクセイ、私の中では「気持ち悪い音楽をやる人たち」の中にカテゴライズされていた。むしろ名前を口にするのも恥ずかしい人たちであったはずなのだ。
それだけにこの、「今さら真正面から『夢で逢えたら』を持ってくる攻撃」、しかも今さらやろうというだけあって、出来にもある程度の確信があったのだろう。……あまたのカヴァーをおさえて、かなりいい、という事実の前に、何というか

「頼む、この一発限りのまぐれであってくれ」

と、私としてはみっともなくじたばたするばかりだ。
しかし彼らの攻撃はそれだけではなかった。聞くところによるとこの曲のカップリングは
何とあの「熱き心に」だというではないか。
目もくらむ正しき大瀧詠一リスペクトっぷりである。負けそうだ。イコール買ってしまいそうだ。

どうすればいい。

「サニーサイド・コネクション」三原順子(1981年)

百恵さん引退前後の激しい「ポスト百恵」争いで、当時ぶっちぎり(仏恥義理でも一向に構わず)で本命と目されていたはずの三原。しかし今振り返ってみるとタレントとしてはともかく、音楽的にはわりと中途半端な位置に留まった感が否めない。
以前エンピツ時代のログで、「本命が世に現れる直前、道ならしをするため、彼女(彼)の似姿的、前座的な存在がまず現れる」と書いたことがあるが、言ったら三原順子はその後の大本命・中森明菜登場までの、いわばつなぎのような存在に終わった感じだ。
これとよく似た最近のパターンとしては、「小沢健二からGacktに続く『王子ライン』上に徒花的に登場し、やはり音楽的には極めて中途半端なものしか残せなかった及川光博」というのがある。
しかしミッチーにしても三原順子にしても、役者としては極めて有用な人材であったわけで、それはそれでいいじゃないかという気が激しくするのだが。

懐メロ番組に駆り出される三原順子は、決まって「セクシー・ナイト」を歌っている。
三原と言えばこれでしょうとばかりに「セクシー・ナイト」。 ヘタをすると最近では「セクシー・ナイト(JAZZヴァージョン)」なんてわけのわからないものまで登場し、サンバヴァージョンやボッサヴァージョンが登場するのも時間の問題と思われる。……ってそうじゃないだろと!
忘れてもらっちゃ困る、三原と言えば「サニーサイド・コネクション」ではないか。 百恵に端を発し明菜で花開いたヤンキー歌謡の流れの中で、実はそれなりにいい仕事を残している三原の、まさに絶頂期にあたる快唱を聴くことが出来るのがこの作品なのだ。
サビ部分、
「そうよ あンなッたは〜 スタンバイ おぉっけえぃ〜♪」の
けえぃ〜♪」部分でのドスの効かせっぷりのカッコ良さと言ったら! そんじょそこらの下っ端ではとても真似できない、「本物」の味わいがそこにある。

「私のハートはストップモーション」桑江知子(1979年)

山城新伍の時代」というのが、よくも悪くもあったのだ、ある一時期。今で言うみのもんたぐらいのポジションと言ったらいいだろうか。
そしてそんな彼のあれやこれやがもっとも端的に発揮されていたのが、日曜のお昼にやっていた歌番組「笑アップ歌謡大作戦」だったのだ。
当時の歌番組がすべてそうであったように、この番組も「歌謡」というジャンルの中に、アイドル歌謡も演歌もムード歌謡も、とにかく何もかもぶちこんでいた。
私は子供であったため、できることならチャラチャラしたアイドルの皆さんだけを見られる、そんな番組を作ってくれたらいいのになと思いつつ、母親が大喜びで見ている「笑アップ」(またこれで「ショーアップ」と読ませるいかにもなセンスも、子供の私には汚らわしく思えた)を釈然としない気持ちで見ていたものだった。
たとえて言うなら、たくあんとか筑前煮(五木ひろし北島三郎)はどうでもよいから、ポッキーチョコレートやフルーツポンチ(百恵ちゃんやキャンディーズ)だけ毎日食べていられたらなあ……という、それはもうお子さま丸出しな夢であったわけだが、最近の歌番組が完全にその状態になってしまったのを見るにつけ、何だこれ、実現してみると随分つまらないものなんだなーということに気づかされるのだ。
多少退屈でも、「世の中にはこんな世界もあるのだ」となかば強引に色んなジャンルの存在を知るというのは、実はお子さまの情操教育には結構重要だったのではあるまいか。
今でも思い出す。「笑アップ」にデビューしたての桑江知子がはじめて登場した日、山城新伍はこの上なく嬉しそうに彼女を見て、

「ふうん、桑江知子ちゃん。くわえともこちゃん。
 ……一体、何をくわえているのかな」

と、いきなり言い放ったのだ。
繰り返すが「笑アップ」は、日曜の、それもお昼の番組である。しかしかと言ってそれが特に問題になるわけでもなかったのは、当時の山城新伍のいわばクラス感でもあり、時代でもあったのだろう。


そして子供はこのテのことを実に克明に覚えているのであなどれないなと、おどれを振り返ってつくづく思うのだ。